『沖縄久高島のイザイホー』と全素材デジタル化への道

                              岡田一男(公益財団法人下中記念財団評議員・東京シネマ新社代表取締役)


2K-fullデジタルスキャンによる1コマの16㎜画像を16:9フレームで切出した。第一次成果報告時に、公開される2022年版は、こうなる。


はじめに

 国立映画アーカイブの2020年新春の上映企画「戦後日本ドキュメンタリー再考」に本作品が選ばれ、多くの来場者に大スクリーンで見ていただく嬉しい
機会があった。その初期準備過程で、本作品の完成原版を含む、伝統文化財記録保存会関連作品の全完成原版が所在不明になっていることが判明、善後策
の策定に一時、没頭せざるを得なくなった。ただ「イザイホー」に関しては、筆者らは、後述の事情で果たせなかったが、国際学術映像収集運動、エンサ
イクロペディア・シネマトグラフィカ(ECフィルム)への収録を予定していたので、1000分あまりの全オリジナル撮影素材フィルムと対応する音源を保存
してきた。これらの全素材を高画質デジタル化により、完成原版のDCPによる復元はもとより、「イラブー漁」や個々の儀礼の頭から尻まで、省略無しの
アーカイブ化を検討している。 

 1979年版では、末尾に伝統文化財記録保存会と財団法人下中記念財団EC日本アーカイブズが、クレジットされているが、どちらが企画で、どちらが制作
かは明記されていない。これは当時の玉虫色の妥協の産物で、実態を正確に表すものではない。復元作業を行うにあたって、記憶を取戻す必要もあって本稿
を執筆している。事実関係に対して誠実であろうと思うが、本稿は、あくまでも一端を担った下中記念財団EC日本アーカイブズ(ECJA/SMF)、岡田桑三
所長(1903-83)側において、制作実務、脚本、演出、編集にあたった東京シネマ新社スタッフとしての記述である。

  40年以上前の事ゆえ、記憶違いもあるかと思うが、それはお許しいただきたい。大きくジャンル分けするなら、確かに本作はドキュメンタリーの範疇に
入るかもしれないが、作者としては、ひとつの事象=テーマを体系的に科学的な記録として整理し、集積し提示していく、「科学的ドキュメンテーション
フィルム」の典型例を模索する中で製作したもので、ドキュメンタリーフィルムにおいてよく行われる、作家の主張に従って記録した映像を恣意的に貼り
付けていく作業を厳しく拒絶した作りになっている。

制作の経緯

 1973年9月にシカゴで開催された第9回世界人類学・民族学会議では、映像人類学関係者の部会が設けられ、フランスのジャン・ルーシュ(1917-2004)
とアメリカのポール・ホッキングス(1935-)を共同議長として、「緊急人類学」と題した決議文をまとめ、急激に文化変容・消滅が進む民族事象の映像
による記録を推進することを提唱した。この会議に出席した、国際学術映像収集運動、エンサイクロペディア・シネマトグラフィカの編集長で、西独ゲッ
ティンゲンの国立科学映画研究所(IWF)所長、ゴットハルト・ヴォルフ(1910-95)は、決議に賛同し、ECに参画している各国のアーカイブズに対し、
とりわけ、信仰に関連する事象の映像による記録に注力するよう呼びかけた。当時、IWFは、ダライラマ14世(1935-)に協力して、スイス政府が他の欧
州諸国に先駆けて受入れたチベット難民1000名の精神的拠り所としてチューリッヒ州リコン村に建立されたチベット仏教の僧院「チベット研究所」の落成
式から始めて、膨大な映像記録に取り掛かっていた。

 ECJA/SMFでは、これを受けて、対応を協議し、沖縄の信仰を取り上げようということになり、下中邦彦理事長(1925-2002)は、助言を受けるべき人物
として、民俗学者で平凡社の刊行する月刊誌「太陽」の初代編集長であった谷川健一氏(1921-2013)と氏に啓発されて沖縄の信仰儀礼を写真に撮り始め、
その成果を組み写真にして、1976年に第13回太陽賞を受賞された沖縄在住の写真家、比嘉康雄氏(1938-2000)の名を挙げられた。お二人にコンタクトす
ると、異口同音に取り上げるべきは久高島の神事であると言われた。この時点では、特にイザイホーを記録すると決めていた訳ではなかった。彼らもイザイ
ホーを実見してはいなかったのだ。
.

 筆者にとって、1971年以来ECに収録された既に1000タイトル近くの民族誌・民俗祭祀の映像を見ていたし、大阪の国立民族学博物館のビデオテーク用に
ECフィルムを再編集し解説を付す業務に携わっていたが、自ら記録に取り組んだ経験は乏しく、わずかに伝統芸能を多数の同期録音カメラでさまざまな角度
から記録する雅楽を記録した経験と、常滑における陶器づくりの記録があったに過ぎなかった。

 1972年に宮内庁式部職楽部の管絃・舞楽6演目をEC収録のため記録したとき指導学者だった民族音楽学者、小泉文夫氏(1927-83)から、ECフィルムは、
貴重な記録の集積ではあるが、民族音楽学者としての自分の眼からすると極めて不十分、不満足なもので、「手本とはならないと思え」、と言う厳しい指摘
があった。その批判を心に刻みつつ、小泉氏とは、日本発の我々の目指すECフィルムは、こうだという実践から出発した。ヴォルフには、「科学的ドキュメ
ンテーション・フィルムとエンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」という著書があり、ECJAでは、1970年代初め、発足にあたり試訳が行われていた
ので、それをベースに、さまざまな検討を行っていた。その延長線上にイザイホーのプロジェクトもあった。

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掲載開始: 2021.05.28.

参照リンク: 「沖縄久高島のイザイホー」 1979年版 第一部 第二部